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2010.02.10 (Wed)

教師の楽園

今日は面白いエントリーのやりとりがあったので取り上げてみます!

まずきっかけとなったエントリーはアゴラの中からです。

教育の改革は火急の問題

それに対してアゴラ内で反論がありました。
こうやって真っ向から議論をしてくれるアゴラは素晴らしいサイトですね。

難関私立中学に楽して入りたいとは、呆れた話ですね

さらに反論はサイトを越えても行われました。

中学受験こそ日本のエリート教育の本流、東大なんてクソ



それぞれのエントリーを要約すると以下のようになります。
*あくまで要約なので全部読んだ方がわかると思います。


最初のエントリー
日本に住む友人のイタリア人は子供を「中高一貫教育をする良い中学」に子供を入学させたいと思っていました。
しかし、塾という存在が嫌いだったため塾を通した受験対策を行っていなかったためうまくいっていません。
日本人にとっては「無理に子供を塾に行かせたくないが受験のためには仕方がない」という選択は当たり前でも、イタリア人の夫婦にとって「悪い」と思っていることを選択することはできませんでした。
そのため夫婦は「子供を塾に通わせなかったのは正しかったのか?」と迷いが生じます。
そこで松本氏は考えます「学校という場がありながら受験するためには塾という外部機関で特殊教育を受けなければいけない現状は正しいのか?学校は一体何のために存在するのか?」
そして下記のような結論に達します。
何も知らずに、「塾システム」に象徴されるような「日本の奇妙な教育システム」の中にどっぷり漬かっていく日本の若者達の方が、実はもっと可哀想なのだと思えてきたのです。画一的な価値観ではなく、多様な価値観に支えられた教育。それぞれの人間の多種多様な興味を尊重し、それを育てていくような教育。表面的なものではなく、真に自らが誇れる「実力(競争力)」を身につけられる教育。そういう教育こそを、日本の若者達の為に、我々はこれから作り出していかなければならないのではないでしょうか。


それに対して真っ向から反論したもの
ご友人には、こう忠告すべきでしょう。
1.生徒の入学時学力差が開く中等学校において、教育の効率を上げるには、入学試験による選別は必要不可欠である。それを拒否して、選別フリーにした場合、私立学校は、教科学習においては、公立学校と何ら変わらないことになる。
2.サッカーで遊びながら、中高一貫校に行きたいなら、非常にイージーに入学できる私立中高一貫校はいくらでもある。なぜそこへ行かないのか?模試偏差値30で50%合格という学校なら、ほとんど誰でも入れる。
3.難関中学でなければ嫌だが、自分の子供は楽して入らせたいということなら論外。



さらにアゴラ外での反論
僕は大学生のとき、難関中学受験のための教育機関で講師をしていた。
そこで日本の中学受験というシステムが世界的に見ていかに優れたものであり、そこを勝ち抜いていく子供たちがいかにすぐれた能力を有しているかということをまざまざと見てきた。
僕は生き馬の目を抜くような国際金融の世界で働いてきたが、日本の中学受験の世界はそれ以上だといっても過言ではない。
だからこそはっきりいえるのだが、日本のエリート選抜は、少なくとも東京では中学入学の段階ですべてが決する。


*赤文字は引用


さて私の結論から言うと「最初のエントリーである松本氏の意見に全面的に賛成」です。
はっきり行って反論には「論理」というものが一切感じられません。
上記で要約した時に気付いたんですが、松本氏の引用はなかなか難しいのですが反論エントリーは中身が単純すぎてコピペでさっと終わりました。


さて、反論を読んでいて面白いのが両者共に松本氏の意見を勝手に摩り替えて勝手な反論をしているということです。

まず最初の反論として井上氏は下記のように反論します。
「みんなが難関私立中学に入れるような教育」ってどんなものですか?私には見当もつきません。
松本氏の主張から「みんなが難関中学に入れる教育」ということを求める文脈は一切ないのに勝手なこといってますね。
松本氏の主張についての私の見解は「勉強する気があっても学校教育では求めるレベルに達しない」や「学校教育が時代の変遷についてこれていない」ということです。
私の見解があっているかはともかく少なくとも井上氏が言う批判は明らかに筋違いというものでしょう。


また2つ目の反論はもっとひどい。
その主張は「中学受験こそエリートを決めるものであり、東大生なんてそれに比べればクソだ」という過激なものです。
中学受験のトップにいる若者が高い能力を持った人材であることは確かなんだろうと思います。
しかし、そこからもっていくべき「先の話」が全く見えてこない。
難関中学合格者が社会に出てどれほどのインパクトを与える人材になったか、その前提はまったく触れていないわけです。
統計をとることが不可能なのかもしれませんが、そういった前提なしに話をしているから説得力が全くないわけです。
むしろこのエントリーのコメントの方がしっかり的を得ています。

親に尻をたたかれながらのたかが小学校時代の3年程度の詰め込み勉強で、人生のエリートか否かがきまってしまうっていうのは、少し安直な考え方だと思います。

国際比較が抽象論で終わっており、なんとも信憑性に欠ける文章に思われてしまいました。



私自身が「塾システム」に昔から反対だったので松本氏の意見は非常に納得です。
そして学校教育システムそのものを問題視することも全く同意見です。
誰がどうみても「社会に出てから全く役に立たない教育」を提供し続けるのは時間の浪費としか言いようがない。
これは「積分」を学んでも社会で役に立たない、とかそういう主張ではなく「学校システム」そのものの問題点を指しています。
学校教育は受験のためでもなく社会にでてからのためでもないなら何の意味があるんでしょうか?
そもそも日本の就職では「学校で何を学んだか」を全然求めないってところに問題のスタートがあるんでしょうが、それは大学を含めた「学校教育」をもともと信用していない証かもしれません。
いや、単なる「硬直した人事制度」の結果なのかもしれませんが、ともかく「日本の教育の中身は社会で通用しない」ことは就活の様子をみればわかります。
だからとりあえず「受験」という指標を物差しにして評価しているんでしょうが、日本の最高学府で構成されている省庁があんなじゃ教育は意味がないってことですよね。


そんなわけで松本氏の主張した「教育の改革」に大賛成です。
惜しむべくは具体的な改革案がないことであり、そこにこそ反論を述べて自分の主張をして欲しいですよね。
私の意見もまだまだ具体性に欠けるものですが、絶対にやって欲しいことの1つは「社会のルールを適応させる」ことです。
例えば道端で人を殴れば「犯罪」ですが、学校で人をなぐれば「イジメ」です。
犯罪とイジメは天と地の差がある表現であり、犯罪で人を殺せば最悪死刑ですがイジメで人を殺しても死刑になることはまずないでしょう。
街中でミニスカートをはけば「オシャレ」ですが、学校でスカートが少し短いと「校則違反」です。
このような例を挙げればキリがないのですが、学校を「教師の楽園」にしてはいけないのです。
教師は自分達で決めたルールに生徒を従わせたがりますが、本来は社会のルールにこそ従わせるべきです。
「ルールを守る人間を育てる」、その志は良いと思いますがそのルールがそもそもおかしい。
教師自身が社会からの干渉を嫌っている時点で教師の社会人としての成長は止まったと言っていいでしょう。


恐らく文科省には絶対無理だと思いますが、はやく松本氏のような意見が日本の識者の常識になって欲しいです。
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23:40  |  社会・政治  |  TB(1)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

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