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2009.12.30 (Wed)

「誰かのため」は「誰かのせい」

今日は晦日です。
少し前に実家に帰ってきたので地元の友達と飲んだり家でのんびり過ごしたりと気楽にすごしています。
といいつつ今日で休暇がすでに半分過ぎたと思うとこの休暇もあっという間に終わりそうですね。
1年の締めくくりは明日にするとして今日は普通のエントリー。
今日は下記のエントリーの表現が面白いなと思ったので紹介します。


なんとかならぬか「ポケモン宰相」


私は、現代の日本人の多くが、他人のポケモンになっている気がしています。自分自身のために生きて自分自身のために力を尽くすのではなく、自分の親や、配偶者や、上司や、世間に褒められるために頑張る人が多いように感じるのです。


これは少し前に行われたボクシングの試合「内藤VS亀田」のことです。
このエントリーでは某教授がこれらのことを表現して「ポケモン」と言っているんですが、これはなかなか面白い表現ですよね。
というか「ポケモン」知ってるなんて教授の割りに若い感覚をもってるんだなとまず思いました。

実は自分もこの試合をテレビで見ていました。
内藤選手を応援していたんですが負けてしまって残念だな~と思っていたんですが、同じものを見て(というよりマスコミ報道を聞いて)まったく違うことを感じたんだなとちょっと悔しくなりましたよ。

この「ポケモン」というゲームを知らない人のために説明すると普通のゲームと違って主人公は直接戦わないんです。
あくまで出てくるモンスターをカプセルのようなものに閉じ込めてそのモンスター同士(ポケモン)を戦わせる、という内容になります。
そしてエントリーの教授は内藤亀田戦が「主人公:父親、モンスター:興毅」と「主人公:妻、モンスター:内藤」と表現して互いのポケモン同士を戦わせていたとみたわけですね。

これは一見穿った見方だと思う人もいるかもしれません。
なぜなら「親のために戦う息子」、「家族のために戦う父親」、このように表現するとまったく悪いもののように感じないしむしろ良いことのように感じるのが普通ではないでしょうか。
日本の一般的なサラリーマン像は父親が外で働くことでお金を稼いで家族を養う、というものですから世間一般からみても遠くないどころか近いもののように感じます。

しかし、このことこそ日本の悪い側面だとエントリーでは表現しています。

ポケモンはそのような社会の状況、特に母親のために勉強や習い事に奔走させられる子供たちを反映しているように見えるのです。今回のタイトルマッチは、リングで一対一で力を尽くして戦うボクサーでさえも、ポケモン化してしまった(より正確にはそのような認識で報道されるようになってしまった)ことを示しています。

話に聞くと、やはり今でも「教育ママ」と呼ばれる存在は多数存在し、幼稚園や小学校などでその存在感を発揮しているようです。


みなさんはどちらの認識が正しいと思うでしょうか。
「妻のために戦う内藤」「妻のポケモンとして戦う内藤」と表現すると前者をとると思います。
しかし、この表現を「母親のために勉強する子供」「母親のポケモンとして勉強する子供」と変えれば実は両者は同じことを言っていて、むしろ後者の意味として同じであるということがわかるのではないでしょうか。
言ってみればそこには主体性がないということです。
ちなみにこれは内藤選手に主体性がない、というわけではなくボクシングという厳しい道を選んでここまできたのはあくまで内藤選手・亀田選手の努力だと思います。
しかし、アウトプットだけみると結局ほかの誰かのせいにしずにはいられない、ということがあるのではないでしょうか。
事実、インタビューでも内藤選手はそれに近いことを発言していたし、「誰かのために戦う」ということは悪いことではありません。

それでも自分はどちらが正しいかと言うとやはりポケモンなのかなと思ってしまいます。
エントリーにもある「母親のために勉強する子供」というのはむしろ一般的ですが、それでは大人になったときにまったく力のない、つまり主体性のない人間になってしまします。
このあたりについては漫画「ドラゴン桜」で語られていますが、子供のうちから「勉強とは机に向かってカリカリやること」という子供は社会に出た後に使い物になりません。
では勉強することとはどういうことかというと「生きること」と表現しています。
この表現を見たときにはけっこう衝撃が走ったものですが、今ではなるほどと思えます。
これについて書き出すと1エントリー丸々使う必要があるのでこの辺りにしますが、主体性の重要性はもっと教育の現場で強調されてもいいように思います。


この主体性をほかの表現に砕くと「自分の行動をほかの何かのせいにしない」ということだと思います。
これは「成長」という観点からすると非常に重要で自分以外の基準で行動すると成功しても失敗しても自分に返ってくる分はほとんどありません。
しかし、自分基準で行動すると失敗しても成功しても自分にとって大きな財産になります。
なぜなら行動の全てを自分で決めているため責任は100%自分にあるという自覚があるためです。
基準を常に自分で持っていればブレることもないし、それが強さにもつながります。
これはもちろん他人の意見を聞くなというわけではなく、むしろ逆で情報収集を怠ることなく自分でしっかりと集めてそれを生かしていくということです。


みなさんも気づかないうちに誰かの「ポケモン」になってはいないでしょうか。
「誰かのために」という思いがいつのまにか「誰かのせいで」になっていないでしょうか。
今は「誰かのために」という思いでも、失敗したときに「誰かのせいで」と転換してしまう恐れはないでしょうか。
自分自身もいつの間にか誰かのポケモンになっていないように気をつけていきたいと思います。
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