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2009.10.18 (Sun)

インプットがアウトプットに影響しない「自分軸」というフィルターを持つ強さ

夏目漱石は「自分がない」空虚な状態からどう脱したのか?――「自己本位」の発見


うつ病と聞いてみなさんはどうとらえるでしょうか?
自分の場合は特に大学以降は周囲にうつ病になる人がぽつぽつと出始め、治療によりなんとか私生活を取り戻した人、今だ苦しんでいる人、最悪のパターンを迎えた人など大勢います。
なので決して特別なものではありません。


そんなうつ病について今回紹介したエントリーではその原因を「他人本位」と「自己本位」にあると述べています。

進学や就職に際して、実のところ特にやりたいことがあるわけでもないままに、何となく流されて選択して進んでしまう。そして、与えられた勉強や仕事はそれなりにこなすけれども、特別やりがいを感じるわけでもない。そんな日々を重ねて行くうちに、ある時ふと「自分はいったい何をしているんだ?」「これが自分の望んだ生き方なのか?」「なぜ働かなければ(勉強しなければ)ならないんだろう?」といった疑問がわき上がってくるようになり、それがじわじわ強まって、ある日とうとう動けなくなってしまうというパターンです。


この「他人本位」って「村社会」の典型的な行動パターンではないかと思いませんか?
村社会はけっして日本特有のものではなく世界各地に見られる現象です。
要は人口の出入りがまばらで閉鎖された空間が整えばどこでもそうなるんでしょう。
なので統計的にどうかはわかりませんが「日本人はうつ病が多い」というイメージはそこに原因があるのかもしれません。
異論もあるみたいですが、表面だけみれば「単一民族・単一言語」の国は希でまさに国ごと村社会にしたようなもんです。


しかし、自分は本当にラッキーでした。
なぜなら他人の評価を依存せずに本当に「好きだ」と言えるものに若いうちから出会えたからです。

1つ目の出会いは「科学」でした。
今でも覚えていますが中学時代に物質は全て「原子」でできていると知ったときは本当に驚いたものです。
中学レベルだと分子は丸い玉のように表現されていますが、そんなもので椅子も机も自分自身も構成されているなんて信じられませんでした。
そして、その後は興味のシフトが「科学」から「生物」にシフトします。
高校時代は先生に「受験には物理の方が有利だからそちらを選択しろ」と言われてもガンとして受け付けずに「生物」を選択したもんです。
高校レベルの生物になるとそこそこ高度になるのでかなり面白くて点数は高いのに生物ばかり勉強していた記憶があります。
全国模試でも生物の記述試験はトップレベルなのにそれでもまだ勉強してました。
素直な理系の点数を反映してて国語や社会は苦手なのにもかかわらずひたすら生物(あと数学も)勉強していたのはある意味「自己本位」と言えるでしょう。
まぁ今の自分が高校時代にもどったら国語や社会も勉強しますが(笑)
そして大学では念願の農学部に入り大好きな生物の授業ばかりで(といっても退屈な授業も多いわけですが…)非常に楽しく勉強できました。
そして今はまさにそれに関する仕事に就けている自分は幸運としかいいようがありません。


2つ目の出会いは音楽、特にジャズとサックスです。
中学はスポーツ系の部活に入っていたので高校でもそうしようと思ってたらいつのまにか入っていた吹奏楽部。
そこで出会ったテナーサックスに一気にはまりひたすら練習したのが高校時代です。
朝練がないのに勝手に朝練をしだして先生より早く来るから鍵をもらい、部活が終わった後も吹きつづける日々です。
また出会いはサックスだけでなく、ジャズに出会い「大学に行ったらジャズ研に入るぞ」と心に近い、まさにその通りになりました。
大学でもまさにジャズ漬けで時間がある1・2年生の時は1日10時間くらいは練習してました。
理系は学年が上がると忙しくなるので練習量は年とともに減りましたが、修論の提出一ヶ月を切ってる正月にライブをやったりとかなりハードなスケジュールをこなしていました。
そして社会人にいたる現在になっても続けています。


そんなこんなで「自己本位」が当たり前の自分にとっては正直「他人本位」はよくわからないのです。
「他人の目線が気になる」という思いはもちろんすごくよくわかりますが、それと「他人本位」はちょっと違うと思うんです。
どこが違うかというとアウトプット、つまり「最終的にどう行動するか」が「自己」か「他人」かによる違いだと思います。
なぜならこうやって生きてきた自分もやはり他人の目が非常に気になるわけです。
でも気にしながらも最終的にどう行動するかには一切他人の目が入り込みません。
なんだか矛盾しているようですが、結局これが一番適切な表現だと思います。
すごく他人が気になるのに、気にせず行動する。
これが自分流の「自己本位」だと思います。


今ついている仕事、特定派遣の研究員も当然選択するときは非常に勇気がいりました。
なぜなら、やはり「派遣業」なので「他人はあまり良く思わないだろうな」と思ったからです。
事実、友達は「なんで他に内定があってそこを選ぶわけ?」と言う連中は多くいました。
さらに自分は男なんで「女性は仕事が派遣というだけで敬遠するかもしれないな」とも正直思ってたし、今でも正直思っています。
そんな感じで気になりまくってるわけです…けっこう情けないもんですね。
でも結局選択している自分がいて、そこにやりがいを見出す今の自分がいます。
そこには一切のブレがありません。
なぜならわかってるからです。
「他人本位」になった途端、自分が自分じゃなくなる
それはどう考えても非常に苦しいのです。



こうやって書くと「自己本位」が非常にわがままなものに見えてくるような気がしますが、それは誤解です。
むしろ「他人本位」のほうがエグイと思います。
なぜなら「他人本位」は「みながそうでなければいけない姿」を持っておりそれを他人にも強要します。
しかし「自己本位」は「人それぞれにそれぞれなりの価値観がある」ということを前提に生きているからです。



自分の軸があれば昨今よく言われる「情報社会」なんて問題じゃありません。
情報はあくまで自分の軸を生かすための道具でしかないのでむしろ多ければ多いにこしたことはありません。
これからも「自己本位」を大切にしていきたいと思います。




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