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2009.06.14 (Sun)

論より証拠

今日は足利事件についてです。

~足利事件とは~
1990年5月12日、午後7時前、栃木県足利市内のパチンコ店から、当時4才の女の子が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川河川敷で遺体となって発見されました。また同日渡良瀬川の中から、被害者の着衣が泥だらけの状態で見つかりました。

市内に住む元幼稚園バス運転手・菅家利和さんの名前が、近隣住民に対する聞き込み捜査中に浮上します。アダルトビデオを多数所有していること(ロリコン物ビデオは全くなし)と、聞き込みの刑事に対して話した職場の経営者の「そういえば子供を見る目つきが怪しかった」などという、心無い言葉により、犯人として目星をつけられ、以後一年間毎日尾行されることになります。しかし菅家さんは、尾行された一年の間、幼女に対する声かけなど、怪しい行為はいっさいありませんでした。(後に刑事が法廷で証言しております。)それにもかかわらず、菅家さんは尾行中の刑事に捨てたゴミを拾われ、中のティッシュを無断で押収され、まったく気づかないうちにDNA鑑定されてしまいます。

1991年12月、「被害者の下着に付いていた精液とDNA型が一致した」という理由で足利署に連行されたうえ、刑事たちの言葉の暴力や暴行などによって、その日の深夜、無理やり自白させられます。一旦そうなると、二度と再びあんな「恐怖の取り調べ」が行われるのを避けようとして、自分から刑事たちに迎合せざるを得ず(これは菅家さんに限らず、取調べを受ける人に共通の心理です)、刑事たちに誘導されるがままに、空想のストーリーを話してしまいます。

参照:足利事件


最近、この事件の犯人として無期懲役が確定していた菅家さんが釈放されましたね。
あまり詳しい経緯は知らなかったんですが、ここにきて凄い事実を知ったので紹介しておきます。
まずこの事件ではDNA鑑定が行われたことで有名みたいですが、当時の鑑定レベルが低いことは最近の報道でよく取り上げられていますよね。
当時は100人に1人くらいの割合で同じDNA型が見られるってことだからそりゃいいかげんってもんです。
しかし最近の技術の発達により地球人口よりも多い人数に1人の割合で同じDNA型が見つかるってくらい精度が上がったから弁護側が再鑑定を要求したみたいなんです。
しかし、最高裁は再鑑定をせずにしなかった結果を支持して無期懲役としたらしいです。
さらに酷いのがこのあと


被告を留置所に入れて弁護側が血液を採れないようにし、しかたがないから弁護士が髪の毛をもらって「被害者とDNAが合わない」という鑑定書を提出。
すると「髪の毛が被告のものかどうかわからない」という理由で証拠として採用しない判決を支持した。



これありえなくないですか?
もともと不正確なデータに基づいて判定した(もちろんDNAだけじゃないけど)のに、その方法がいまなら有効だとわかって申請した。
すると棄却されて、しょうがないから自分で手に入れたら、「それが本当かわからない」
自分達で手に入らないようにしといて、そりゃないだろ!!!
いったいどういう基準で行動してるかがさっぱりわからんが、官僚なんかでよくみられる「自分達が正しい」という精神なんかな。


ここで問題なのは残念ながら最高裁だろうと間違えることはあるということ。
これは人間なんだからしょうがないでしょう。
もちろん冤罪が0人にすることが理想ですが、最善の手段を尽くした結果そうなってしまったのなら避けようがありません。
しかし今回はそうではありません。
明らかに典型的な日本の裁判パターン「証拠より自白」という流れであり、最善を尽くしたとはいえません。
まだレベルの低かったDNA鑑定に頼るなどわかりやすいほどの問題がたくさんあるのでしょう。
基本的な精神としては「99人の真犯人を取り逃がすよりも、1人の冤罪者を生まない」ことが重要であるはずなのに明らかに逸脱しています。
もし、あの時点で怪しいから捜査は続行、となっていたら真犯人に繋がる手がかりが手でいたのかもしれないのに、結局真犯人は野放しです。


裁判員制度の重要性がこれで益々高まってきたと言えるのではないでしょうか。
もちろん過剰な期待は禁物の制度ではありますが、「これっておかしくない?」という当事者意識が国全体に広がれば1つのムーブメントになる可能性もなくはないです。
しかし、今のままならこれまで通り何もかわらないんでしょう。
自分の好きな言葉にこういうものがあります。

成功の反対は失敗じゃない、何もしないこと。

今回のような不幸な事件を少しでもなくすため、また裁判官の「偏った正義」を「国民にとっての正義」に戻すために、裁判員制度がなんらかのきっかけになることを祈ります。
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10:58  |  社会・政治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

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