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2009.05.13 (Wed)

テロと救済の原理主義

今日は本を紹介します。

テロと救済の原理主義



やったらかたいタイトルなので難しそうと思うかもしれませんがそんなことありませんでした。
今回紹介する本は9・11事件以降のイスラム教に対する偏見を払拭し、正しい国際理解を行う、という目的で書かれた本です。


イスラム教といえば恐らく日本人なら怖いイメージをもつことでしょう。
「なんだかよくわからないけど怖い」ってのが本音ではないでしょうか。
自分自身は大学時代にイスラム教の人と実際にあってるのでそういうイメージはないですが、「原理主義」とか聞くとやっぱ怖いなって思ってました。


この本を読むとそんな偏ったイメージを払拭してくれます。
正確に言うと確かにイスラム教に原理主義といわれるような強行な態度を持つ考えがあるんです。
ただ、それは非常に西欧近代を意識したものであって何か全然別のところから生まれたものってわけでもないんです。
さらにいえばイスラム教にももっと共感しやすい教えもあり、リベラル・イスラムといいます。
イスラム教=原理主義と短絡に結びつけるのは危険であり、けっして一枚岩ではないということを理解する必要があります。


ちなみに自分が知ったある事実でイスラム教に対するかたいイメージが減りました。
それは実際にイスラム教徒の方がいってたんです。
曰く「日本にいればアッラーの目はとどかないから酒も豚も食べていい」とか平気で言うんです。
そんなもんなんだなぁ、となんとなく親近感を覚えた瞬間でした。


この本で一番自分が戒められたのは「一神教と多神教」についてです。
今までの自分の考えは「一神教は1つの神様しか信じちゃダメだから他の事を排除する傾向がある。一方、多神教はもともと色々な神様を信じてるから寛容である。」ということです。
しかし、これは大きな誤りであり、そもそもイスラム教の教えの中にも「他の宗教を受け入れる」という考えもあるし、逆に仏教でも他の宗教を攻撃することは実際にあるんです。
こんな当たり前のことを今まで知ったような顔をして言っていたのでちょっと恥ずかしくなりました。


さらにこの本で学んだのは、宗教というのはまるで「憲法」のようだなということです。
どういうことかというと、「絶対の教えがある、というより自由な解釈が許されうるものだ」ということです。
イスラム教の例についてはすでに原理主義とリベラルイスラムを挙げましたが、これはどちらもコーランによるものです。
でも、解釈の仕方を変えることで原理主義にもなれば、近代にマッチした解釈も生まれるというわけです。
宗教=絶対的なもの、という自分の考えをまた1つ壊してくれました。
確かに発祥が何千年も前なのにずっと同じ解釈でいられるわけもなく、常に現代に合わせないとそのものが崩壊していくんでしょうね。


この本の凄さは単に宗教について述べるだけじゃなく現代の抱える問題について鋭く指摘してみせるところです。

米国の同盟者でありながら、中東の反米感情に共鳴する心を否定しきれない「内なる原理主義」を抱えた日本は、愛と憎しみの悪循環の輪から無縁ではないのである。


宗教に対する理解よりも、そこから発展した第5章「内なる原理主義」がこの本のクライマックスだと思います。
正直、その部分は簡単に文章にできるほど自分のなかでまとまってなく、非常に悶々とした部分でもあります。
近代化が生みだす避けられない「内なる原理主義」が本当に自分のなかにもあるのかは図りかねますが一読の価値ありなので是非読んでみてください!
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