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2009.01.23 (Fri)

感情と理性

先日、人のブログのコメントした時に、ふと出てきたセリフ

「人と付き合うときは感情的に、社会と付き合うときは理性的に」

*実際には「理論的」としましたが、調べたら感情の反語は「理性」だったので修正しました

その日記の主は、名言だね、と太鼓判を押してくれましたが自分でも後から読んでそう思いました(笑)
書いたときは気付かなかったけど、けっこう大事なことではないかと自分で改めて思いました。
やっぱり実際に文章にして書くことって大事ですね。

そしてこのセリフの意味です。

まず「感情」
言わないまでもなく、感情ってすごく大切じゃないですか。
「感情」を「気持ち」と読み替えたほうがしっくりくるかもしれまんせんが「喜怒哀楽」ってとても重要だと思うんです。
自分が何に喜び、何に怒り、何に悲しみ、何を楽しむのか。
大人になればなるほど鈍るものらしいですが、これが鈍った人生は実につまらないものになると思います。
どうも、最近よくわかってきたんですが、自分は感情表現が豊からしい。
自分のことを知ってる人がどう判断してるかはわからないんですが、この1年は特にそう思う機会が多いです。
おそらく社会人になり、付き合う人の年齢層が上がったのが原因でしょう。
大学時代は「おっさんくさい」と言われてたのに、社会人になったらとたんに若く見られるようになりました。
それは「感情」をはっきり表現しているのが原因ではないかと考えたからです。
確かに自分はこの「感情表現」を大事にしています。
友達とか、仲間とか、そういう深い関係になる時にも「感情表現」は凄く大切で、感情が見えない人とは仲良くしようとはしません。
それは「怒り」という感情も含めてです。
思えば、自分の場合、特に仲の良い友達とは必ずケンカをしてると思う。
それは「その人が何に怒るのか」ってのが凄く重要で、お互いのお思いをぶつけたからこそ本当に仲良くなれる、という自分の信念に近いものがそうさせるのだと思います。
でも大人になると上手に感情をコントロールしちゃうから、「あぁ、この人は本音をぶつける気はないんだな」と思うと自分も一線を引いて付き合います。
もちろん、会う人全員に感情ぶつけてるわけにはいかないけど、何か1つの目標にむかって行動する人たちとは、きちんと「仲間」でいたいと思うわけです。

つまり、感情は「人間的によりよく生きる最良のツール」だと思うわけです。

しかし、この感情を社会に対して向けるとその姿は一転します。
例えば、目の前に仕事がなくてこまっている人がいる。
その人に対して「大変だろうな、辛いだろうな」という「哀しい感情」が生まれたとする。
そして、これは社会が悪いんだと感情を社会にぶつける。
するとどうなるか、それが今で言うところの「市場原理主義」とか「格差社会」という声になる。
そして「弱者を保護しろ」という行動へと向かうわけです。

これのどこが問題なのか?
それは、「目の前の人を助ける方法と社会全体をよりよくする方法は全く違う」ということに気付けなくなるということです。
そして、自分の考えは「ある問題が起きた時に、その問題解決方法は問題の大きさに合わせる必要がある」ということです。

例えば、実際に訪れたカンボジアはまさに貧困国でした。
その中のある村を訪問した際、ある女の子、仮にAちゃんと非常に仲良くなり、その子を貧困から救いたいと思ったとします。
そこで、資金的援助をして学校に通えるようにして自立を助けたとします。
そうすれば、最初の目標「Aちゃんを助ける」という問題は解決します。
しかし、カンボジアの貧困問題を解決したいと思ったときには全く通用しません。
仮に、貧しい子供全員に資金をばら撒いても、それは「貧困から救う」ことは出来ても「貧困問題を解決した」ことには全くならないのです。

また、今の「派遣切り問題」もそうです。
目の前の契約を切られた派遣社員がかわいそうだからと、会社に再雇用を強制したとします。
1人だけなら、なんとかなるでしょう。
でも全員となれば、そんな手段は通用しないことはすぐ理解できるはずです。
あの「派遣村」に集まった人たちだけに資金を提供するなんてもってのほかで、そんなのゴネたモン勝ちという社会を助長するだけです。

そして問題なのは、感情がむしろ問題を悪化させる可能性があるということです。
本来なら、今の日本の経済問題はその実際の経済力が低下していることが原因なのにも関わらず、完全に問題が摩り替えられてしまっています。
そして、民主党の手段を見ていると「派遣切り問題」は政治的アピールにしか使われていません。
ここで「派遣規制」を強めても誰も幸せにはなりません。
失業者を生み、さらなる悲劇を生む以外にないのです。
それをするよりも、もっと大きな目で見れば人材が足りていない産業は他にあるのだから、人材が他産業に動きやすい制度を作るとか、再訓練施設を充実させるとか、やることはいくらでもあるはずです。
しかし、そういう声が一切上がらない。

カンボジアも同じで、他国の政治についてどうこういうのはあまりよくないですが、あの「賄賂社会」をどうにかしないとなんともならないでしょう。
どうせなら選挙を運営する世界機構みたいなのができればいいのに。
選挙のやり方はその国にまかせて、集計等の数字を扱う仕事は完全に中立した人達が扱う制度とかね。
まぁ絶対実現しないとは思うんだけど、そういう思考の方向性って大事だと思います。


結論。
感情は捨てちゃダメです。
それは人としての行き方を捨てるのと同じだから。
理性を捨てちゃダメです。
本当の問題を見えにくくするから。
「人と付き合う時は感情的に、社会と付き合うときは理性的に」
感情と理性は全く別の道具として取り扱うことで、よりよい社会の礎ができると思います。


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★どーもです!

はじめまして!

ちょっと興味を持ちおじゃまさせていただきました♪

ヨロシク(^^)v
★なべちゃん |  2009年01月25日(日) 15:45 | URL 【コメント編集】

★コメントありがとうございます!

興味をもってもらえて嬉しいです!
またぜひblogへ遊びに来てくださいね~。
てっし |  2009年01月25日(日) 16:16 | URL 【コメント編集】

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