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2011.05.28 (Sat)

入り口の華やかさと出口の有無

私が参加しているプロジェクトは企業や大学・研究機関が多数参画しています。
そこで問題になるのが「知財権」です。
今回はそのことについて取り上げてみます。


私もまだ勉強不足でよくわかっていないのですが色々な機関が参加するプロジェクトではまず知財権が問題になるようです。
例えばプロジェクトの仕事をしながらある技術開発に成功して知財権を得るとなったときに、その知財権が本当にその機関独自のものかを判断するのは非常に判断が難しい。
なぜなら、そのプロジェクトを進める上でいろんな機関が参加しているので他の機関の結果を受けてその開発がなされた可能性もあるわけです。
だからこのように多数の機関で参加している場合、結果報告会などを完全に独立させて別々にやるそうです。
しかし、それぞれの機関で得られた成果を別々に扱うとプロジェクト全体としては非効率になり結局多数の機関が参画したメリットが得られません。
そのため多数参加型のプロジェクトは「知財権」と「効率」のバランスが非常に難しいのです。


私が参加しているプロジェクトはこの知財権をほとんど考えていないタイプのプロジェクトです。
全員が同じ場で各機関の報告を受けるので非常に効率を考えると非常に有用な形といえます。
しかし、ボランティアとしてやっているわけではないので当然各機関は何らかの開発に成功すれば知財権を主張します。
そうすると上記のややこしい問題が持ち上がるわけです。
さらに言うと、このプロジェクト全体で得られた最終的な成果はいったいどうするんだ?という根本的な問題も残ります。
参画機関の全体にそれぞれの貢献率に合わせて知財権を配分なんてしてたらとてもじゃないけれどその技術を使うことなんてできません。


というわけで国のプロジェクトでよくある「多数参加型の大型プロジェクト」は同様な問題を抱えているのではないでしょうか。
なので、例えば昨日twitterで見かけたこんなツイートを見ると首をかしげてしまします。

NEDO「ヒト幹細胞産業応用促進基盤技術開発」が本日告知されました。我々のプロジェクトは、初年度予算で約7億円。日本を代表する幹細胞研究機関・企業を結集した、稀有壮大なプロジェクトです。日本発・「幹細胞×ものづくり技術」の融合イノベーションの実現に向け邁進する所存です。


「日本を代表する幹細胞研究機関・企業を終結した」とありますが、そんなに終結させて得られた成果はどこが使うんだろう…と疑問に思うのです。
もちろんこの例に挙げたこのプロジェクトはその辺りをしっかり押さえてあるのかもしれません。
ただ、大型プロジェクトのほとんどがこの辺りを押さえ切れていないという話を聞いたこともあります。
日本は技術力はあるけれどそれをビジネスに出来ない理由はこういったところにあるのではないかと感じました。


技術をビジネスに変えるのは海外メーカーの方が強いというイメージです。
それを裏付けるように、うちのプロジェクトをとある海外メーカーの方に説明したところ知財権をどうするのかという質問を最初にうけました。
それに対してプロジェクトリーダーは「確かにそこが難しい」などと答えになっていない答えを返していたのをこのエントリーを書いてて思い出しました。


そんな経緯で、最終的な出口を考えずに動き出すのは非常に愚かなことだと学びました。
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09:35  |  仕事  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.05.21 (Sat)

動ける人

今回はtwitterで知ったサービス「オンライン署名」についてです。


オンライン署名サイト 署名TV


これを知ったきっかけは前に書いた堀江貴文さんの実刑確定に関する問題です。
前にも書きましたが私はこれが正しい判断とは思えないのでさっそく署名することにしました。
そしてその後の経緯を見守ったのですが現時点で「8526名」の署名が集まっています。

この人数を多いと考えるか少ないと考えるか。
堀江さんのtwitterのフォロワーは約70万人です。
その全員が実刑確定を問題視しているとはもちろん考えにくいので仮に50%として35万人とします。
そう仮定すると実際に署名したのはわずか2.4%ということです。
先ほどの仮定を50%から10%に減らしてもわずか1割という少なさ。
これはどうしてこうなるのでしょうか。


その理由は簡単だと思います。

実際に動くことができるのは限られた人にしかない能力

これに尽きると思います。


理由はいくつか考えることができます。
私は今回初めて「オンライン署名」なるものを知りましたが多くの方がそうだったのではないでしょうか。
そしてこの「初めて」というのは心理的抵抗が大きいものです。
また、署名というものが本当に効果があるのかを疑問に持つ人もいるでしょう。
私自身も正直どれくらいの意味をなすものかはっきりとはわかりません。
しかし、理由を挙げることはあまり意味のある行為だと思いません。
むしろ、単純に「自分が何かをする」ことそのものができない人が多いのではないでしょうか。


これは仕事でも私生活でも感じることです。
本当に些細なこと、例えば「飲み会をする」ということがあったとき自ら飲み会をセッティングできる人って実は意外と少なくないでしょうか。
そんな些細なことですら動けないのだから仕事となればなおさらです。
逆に言うとそんな些細なことができるだけで1つの武器になる可能性があるのです。


こういうことを強く感じる理由に私自身がかつて「動けない人」だったことがあります。
例えば「お店に電話をかける」ことそのものに心理的な強い抵抗がありました。
いざ自分が動こうとするといろんな理由をつけて動きたくなるなるのです。
しかし、色々な出会いを通じて「自ら動ける」ことの強みや自由さを強く感じて少しずつ動けるようになりました。
どんな素晴らしいアイデアも実行しなければ意味がなく、その実行に失敗しても実は特に問題がないことを経験を通じて身につけたからです。
そういうことを教えてくれた人達には感謝してもしきれません。


いまでも心理的抵抗は残っています。
たぶんこれは生まれもった性格なのでなくなることはないでしょう。
しかし、そんな心理を横に置いて動けるようになってから生活が大きく変わったと思います。
動けるってそれだけで素晴らしいです。
11:41  |  自己啓発  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.05.18 (Wed)

ニュータイプ

世の中に能力の高い人っていうのは沢山いると思います。
だけどこの2人は単純に能力が高いってだけでは割り切れない人達です。

その2人とはホリエモンこと堀江貴文さんとひろゆきこと西村博之さんです。

この2人は世間的には悪いイメージで名前が知られている方々だと思います。
ただ、その原因は「普通の感覚では測りきれない合理性」にあると考えています。
人並み外れた合理性は人並み外れた「正論」を生み出すので人の感情を逆撫でるのです。
そのためかつては私自身も悪いイメージを持っていましたが今は非常に興味深い人達だなという印象に変わっています。
そんな2人は色々本も出ていますがこちらのYoutubeに素晴らしい番組があったので是非紹介したいと思います。


異常な鼎談 ホリエモン  前編1/3


異常な鼎談 ひろゆき 前編1/3


この番組は是非最後まで見て欲しいです。
私は本当にこの2人が全然つかめなくてそれが本当に面白いんですよ。
堀江さんはすっごい合理的な考え方をするのに反面やたら熱い部分もある。
ひろゆきさんはすごく普通っぽいのに同じくやたら合理的で人間味を感じなくてむしろ怖さがある。
ニュータイプという言葉がピッタリ当てはまるような存在です。


尊敬するとかそういうタイプではないけれど能力の高さをビンビン感じます。
だけどある意味で反面教師でもあって、普通の人はこの感覚にはついてこれないでしょう。
そんでもって会社というのは普通の人で動いているもので私自身もその一員です。
だからその合理性を見習いつつ、それをどう現実の人が動くシステムに落とし込むかが大切なんだと思っています。
合理性と人の感情はどこまでバランスを取ることができるでしょうか。
私が抱えている課題の1つになりますがその答えの一部が2人にあるような気がして最近特に気になる2人を紹介しました。
23:03  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.05.03 (Tue)

普通の科学者の考え方

今日はとっても参考になるtogetterがあったので紹介します。


keigomi29さんの(普通の)科学者と(三流)ジャーナリストの違いに関するツイートのまとめ

【1】 (普通の)科学者は自説を否定する事例を探す。 (三流の)ジャーナリストは自説を補強する事例を探す。

【2】 (普通の)科学者は反例が見つかると自説は否定されたと考える。 (三流の)ジャーナリストは反例を気にせず自説は証明されたと考える。

【3】 (普通の)科学者はひとつの例では不安である。 (三流の)ジャーナリストはひとつ例が見つかれば大満足である。

【4】 (普通の)科学者は事実から論理を導き出す。 (三流の)ジャーナリストは論理にあう事実を見つけ出す。なければ創り出すこともある。

【5】 (普通の)科学者は相関関係が因果関係かどうかを考える。 (三流の)ジャーナリストは相関関係は因果関係だと考える。ただし因果の方向は任意である。

【6】 (普通の)科学者は抽出した標本が母集団を代表しているかどうかを考える。 (三流の)ジャーナリストは取材した対象が母集団を代表していると思いこむ。

【7】 (普通の)科学者はどの程度確かなのかを考える。 (三流の)ジャーナリストは絶対確実か絶対間違いだと考える。

【8】 (普通の)科学者は見つからないものはないのかもしれないと考える。 (三流の)ジャーナリストは見つからないものは隠されていると考える。

【9】 (普通の)科学者は誰の話を聞いても本当かどうか考える。 (三流の)ジャーナリストは話を聞く前に本当かどうかを決めている。

【10】 (普通の)科学者は話を聞いて理解できないのは自分の知識が足りないからだと考える。 (三流の)ジャーナリストは話を聞いて理解できないのは相手の説明が下手だからだと考える。

【11】 (普通の)科学者は分からなければ勉強する。 (三流の)ジャーナリストは分からなければ説明責任を追及する。

【12】 (普通の)科学者は量と反応の関係を考える。 (三流の)ジャーナリストはあるかないかだけが問題である。



どれもなるほどというかある意味本当に普通のことだなと思えます。
そう思えるのは私自身がすくなくとも最低ラインとして「普通の」科学者のレベルは達成できていると言えそうでほっとしました。
全て当然のことですがコメントしていくと…と思ってもう一度①~⑫を確認すると当たり前のこと過ぎますね…。
なのでピックアップしてコメントします。
特に④なんかは科学者とかジャーナリストとか関係なく人としての問題でしょう。


⑥はまさに科学者として身につけたいことであり、普段の生活からはちょっとかけ離れたことだと思います。
普通は目の前に起こった出来事を見てそれがまるで普遍しているように感じるものです。
例えば、名古屋出身の人にたまたま連続で出会ってみんなが「味噌が好き」と言えば「あぁ、やっぱり名古屋人は味噌が好きなんだ」と思うでしょう。
でも科学者なら「この例が本当に全体を現しているのか」の考え、どうしたらそれが証明できるのか考えます。
得られた実験データが特殊な例なのか一般的な現象なのかを見極めることは非常に重要だからです。

⑨に関しては科学を仕事にしているとほとんど職業病の1種だと思うくらい疑います。
他人のデータはもちろん自分のデータもまず疑ってかかるんです。
そうしないとついつい間違ったデータに惑わされてしまうのでそうならざるを得ません。
事実、実験条件やそもそもの前提条件だったりがおかしい論文も沢山あるので油断なりません。
しかし、これを日常に持ち込むのが科学者の悪い癖です。
楽しく会話していればいいのに「それ本当?」とか「それは前提がおかしいんじゃないか?」とか「そもそもその言葉の定義は何なの」とかつまんないこと言っちゃうわけです。
これだけは気をつけたい。

⑩は昔のエントリーで取り上げた「定量」と「定性」の問題に近いと思います。
この「量と反応」に関する私なりの解釈は「閾値」です。
ある物質があって、その存在そのものが有害か無害かを判断するのはナンセンスです。
ある一定量あって始めて有害な性質を示すものがあるわけでその有害無害は「量」とそれに対応する「反応」をみないと判断できません。
特に今回の放射線問題では「放射線そのものが有害である」という風潮になっていますが放射線そのものは毎日浴びています。
この世にあるほとんど物が放射線を発しているわけで今更それが議論にはならないわけです。
今回はそれを無視して著者がいうところの(三流)ジャーナリストが騒ぎ出したので今回のようなtogetterが出来たようです。


気になるのは「一流」の科学者はどういう考えを持って取り組んでいるんだろう…ということですね。
そんなこと考えていては一流にはなれないのかもしれませんがとりあえず科学を考える土台を再確認できてよかったです。
それを土台にしてしっかりと自分なりの一流を構築していきたいですね。
22:15  |  研究  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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