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2011.02.22 (Tue)

縁は自分で作るもの

最近ネットでよく見かけるキーワードに「無縁社会」というものがあります。
話によるとNHKなんかが特集で番組を作っているそうです。
そしてwikipediaを見ると載っていました。


無縁社会(むえんしゃかい)とは、単身世帯が増えて、人と人との関係が希薄となりつつある日本の状況について、NHKによって2010年より放送された造語である。


この無縁社会についてネットでは批判的な意見を多く見ました。
そんな批判の中で一番まともだなと思ったのがこれです。



「無縁社会」を恐れる損得勘定


最近の「無縁社会」ブームは、古い「縁」だけでなく、新しい「縁」とも切れてしまった人たちが、強い不安を感じていることのあらわれかもしれない。ただ、タイミング的に不純な動機があることは否めないと思う。それこそ、若い時は自由を謳歌して、伝統宗教や信仰心まで破壊し尽くしてきた団塊世代が、いざ引退する段になり、都合良く「縁」を求めているだけではないのか。「共同体や伝統、信仰を守る気はさらさらないが、老後が心配なので社会が何とかしろ」というのでは、筋が通らない。


この「損得勘定」というキーワードはすごく腑に落ちました。
何故かというとそもそも私は無縁社会というものがピンとこないんです。
私自身もwikipediaにあるように独身で地元を離れて1人暮らしをしていますが孤独は感じていません。
それは帰れば家族や地元の友人がいるし、今の場所にも新しい友人がいるからです。
今までの出会いを大切にしていれば無縁になることなんてありえないと思うので無縁社会というキーワードは実感がありませんでした。
そしてリンク先の記事の損得勘定を読んで「今までの出会いを大事にしなかった人達」なんだろうなと思ったわけです。
リンク先の主張としてはその場その場で動いてるからこういう現状になる、と私は要約したのですがそれは出会いを大事にしていないことに繋がるんじゃないかと思ったのです。
仕事を辞めたら友人が誰もいなかったなんて私には想像もできませんが、仕事「だけ」やってきて友人を捨ててきた人にはありえるのかもしれません。
また、家族を一切省みなかった人にも反対にいつか家族に捨てられる日が来るのかもしれません。
そうやって場当たり的な人間関係を築いていった先が「無縁社会」なんでしょう。


私自身は自分自身の癖のある性格もあって私に対する好き嫌いがかなりはっきりしていると思います。
なので好意を持ってくれた人はなるべく大事にしたいしその場だけではなく期間が相手も会える機会をなるべく作りたいです。
そうやって人間関係を築いていくことが私にとっての「人生の幸せ」の1つの成分なんだと思っています。
もちろんなかなか会えない人も大勢いますがインターネットがあれば繋がりは保てます。
ネットが新しいコミュニケーションのツールになることを批判する声も多いですがまったく反対です。
このツールがなければなかなか連絡が取れない人もいるわけで非常に大事だと思います。
ツールなんてのは使い方次第なので使い方を知らない人がそれを批判してもあまり意味はないでしょう。


というわけで私にとっては「無縁社会」は完全なフィクションです。
ただし友人達の結婚ラッシュを見るとそろそろ違う縁も必要なのか…とも思いますが。
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19:51  |  社会・政治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.02.12 (Sat)

御用学者の作り方

前回のエントリーでとある報告会を聞きに行ってきたと書きましたがその続きです。
その報告会の夜は軽い飲み会が開かれました。
そのメンバーがけっこう豪華で私の研究分野の日本の代表みたいな東大教授がいました。
また経産省関連の研究施設で働く方や、農水相関連の研究施設で働く方など早々たるメンバーです。
そこで初めて生で実感したのが「御用学者」という存在です。


御用学者(ごようがくしゃ)とは、もと幕府に雇われて歴史の編纂など学術研究をおこなっていた者のこと。転じて現在では「権力者におもねる学者」といった意味で使われる。
wikipediaより


現代での意味は、役人が「次はこういう政策を出したいな」と思ったときにその政策の是非を問わずに賛成してくれる学者のことを指すと思います。
この御用学者という単語をよくネットで読んでいたので知識としては知っていたのですが飲み会でその話がでてきて本当にあるんだなと実感しました。
さらにはこれも読んだことがあるんですが「御用学者リスト」なるものもやはりあるそうです。
上記の経産省関連のとある団体に存在し、「この学者に言えば必ず賛成してくれる」というリストがあるそうです。
知識としてだけ知っていたのですがやはり実際に関わったことのある方に直接聞くと重いですね。


また上記の教授もさらっと「東大の役人の御用学者だらけですよ」と言って驚きました。
ただ、ちょっと深い意味もあってこういうことをおっしゃいました。


東大は役人の御用学者だらけですよ。私もです。ただし私はノーとも言います。しかし彼等の都合の悪い発言は絶対に取り上げられません。


つまり御用学者になる気がなくても都合のいい部分だけ取り上げられて反対した部分は取り入れらないため結局御用学者になってしまうそうです。
どんな政策にも賛成するような志のない御用学者だけではないということですね。
この意味は非常に重要だと思います。
なぜなら東大の学者ですらどんなに政策を良いものにしようとしても結局舵を握っているのは役者なので影響力を示せないのです。
日本一の大学でこれなのですから基本的に学者が政策に影響を及ぼすことはないと思ってもよいのだと思います。


その先生もそのことを認識していて結局このような体制を崩すのは新しいシステムを望む空気しかないと言っていました。
日本全体が「これおかしいんじゃない?」とならないと変わらないというのです。
ただ、今の時代はblogしかりtwitterしかりと個人の意見を世に発信できる時代になっています。
それだけが救いだと思いますがこの強固な役人によるシステムは民主党政権を見てるとまだまだ変わりそうにありません。
それでも名古屋トリプル選挙では民主にも自民にもノーを示した結果になったように時代は少しずつ動き出そうとしているのかもしれません。
21:34  |  社会・政治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.02.11 (Fri)

面白い研究って何だろう

先日とある成果報告会を見に行ったときの感想です。
様々な研究報告を聞いてきましたが研究の「面白さ」ってやっぱり難しいなと思いました。


手堅い研究は面白くない。チャレンジングな研究は面白いけど多くの場合は面白さだけで終わる


そう感じました。
バイオケミストリーの分野で一番手堅い研究は「新しい生き物(細菌など)を見つけて、酵素を見つけて、反応させたらこういうものができました」というものだと思います。
どんなものを見つけるかによりますがこれがけっこう簡単でスクリーニングの壁を越えれば後のストーリーは報告を聞かなくても想像できます。
報告を聞いている途中で「この後はこれしてあれしてこうするんだろう」と予想するとほぼ丸々それが当てはまるわけです。
こういう研究は正直言って全然面白くないです。
だけどこういう研究の方が「工業的利用」には一番近いところにいます。
工業的利用に複雑な系は向いていません。
なるべくシンプルであればあるほど応用しやすいと思います。
ただし、シンプルであるためすぐに真似されるので特許で保護したとしても優位性は低いのかもしれません。


反対に面白い研究は報告を聞いていてその先がまったく想像できないものです。
そもそも発想からして面白かったり、聞いてる途中で想像してもそれを斜め上を言ってくれます。
だけどそういう研究は確かに面白いけれど可能性があまりに低くて結局利用できないまま終わっていくケースが多いと思います。
今回私が言った中でも一番面白かった報告に対して色々話しを突っ込んでいくとどんどんボロが出てきてこれ大丈夫かな…?と不安になるほどです。
方法論が非常に面白いけれどそこから得られるメリットや1つ壁を越えた後のプランに対して明確な答えを全然持っていませんでした。
でも研究としての面白さは明らかに断トツです。


こう考えると大きなチャレンジをただするだけではダメなんだと思います。
大きなチャレンジは例え科学的に大きなチャレンジだったとしてもそこから得られるものが大きくないならチャレンジする意味がないと思うのです。
「現在の方式に対して2割もコストが下がります」では大きなチャレンジの場合意味がなく1桁・2桁の変化が起きることを想定することが大切なのではないかと思います。


つまり本当に面白い研究とはこういうものです。


誰から見ても無謀な挑戦に見えるけれどもしそれが達成できれば劇的な変化をもたらす研究


と言っては見たもののこれがどんだけ難しいかは研究に関わる人なら誰でも知っていますよね。
多くの場合は手堅い研究か、面白い方法・結果だけど最終的なアウトプットに大きな影響を与えるものではないものが大半です。
私も現在やろうとしていることは方法論も目新しく今まで考えられていたことと違う現象が見られて非常に面白いと思っています。
しかし、その結果が実用化等の最終的なアウトプットに与える影響はどれほどだろう…と考えると首をひねってしまいます。
もちろんどんなデータでも最終的なアウトプットに影響するようにと意識してはいますが面白さとのバランスに悩むわけです。
お金を貰っている以上「自分が」面白いだけではやはりダメですから。
とりあえず今出来ることは手堅い研究とアウトプットには繋がらないけれど面白い研究をうまく平行させていつかそれが融合できることを意識し続けることなんでしょう。
14:46  |  研究  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2011.02.06 (Sun)

日本企業システムと国際社会のギャップ

今回はニュースより。
いかにもピンボケな提案がありました。


“徒弟制度”や修士論文の廃止求める 大学院博士課程で中教審答申


この制度はリンク先の情報によると下記のような狙いがあります。


博士課程修了者が民間企業で敬遠される傾向があり、国際社会で活躍できる人材育成も不十分という批判が出ていることから、幅広い分野の研究をさせることで、企業などが求める人材育成を目指す。


これそもそも前提がおかしいということをどれだけの人が理解しているか心配です。
博士が民間で敬遠される理由と国際社会で活躍できる人材育成は日本ではまったくイコールにならないというのを知っているでしょうか。
日本の新卒市場で一番欲しがられる人間は「元気で明るくて高学歴な何もない人」です。
その何もない人を一から企業で育ててまさに自分色に染めていくのが日本企業のスタイルです。
そのため日本企業で育てられた人材はその企業でしか通じない能力である「企業特殊能力」が伸びていきます。
具体的には社内調整だったりその企業で長年積み重なったハウツーを駆使して戦略・実効していくことです。
そういう能力は他の企業に移ると使えないため「企業特殊能力」と呼ばれるのです。


この日本企業の戦略は「終身雇用」「年功序列」という制度にばっちりフィットするように作られています。
簡単に言うと終身雇用なのでその企業にだけいればいいから企業特殊能力でも問題ないのです。
そして年功序列という給与体系は要は「若いうちは企業に貯金して歳をとったら返してもらう」というシステムであり、ずっと同じ企業で働かせるためのシステムでもあるのです。
これらの結果日本企業の人材の流動性が恐ろしく低い(つまり途中で出たり入ったりが少ない)ために専門家ではなく「なんでも屋」に育てます。
人材に空きがでたら専門だろうと専門外だろうと関係なく働いてくれないと困るからで、日本独特の無茶な転勤・単身赴任などはその結果起きる世界でも稀なシステムです。


んで話を戻すとなんで企業が博士を嫌がるかはこのシステムに全然マッチしないからです。
「若いうち」に企業色に染めて安い賃金でガンガン働かせてなんでも屋を育てるシステムなのに、博士は専門性が確立しててすでに歳もけっこういっている、もう最悪なわけです。


じゃあ次は「国際社会で活躍」という点でみるとどうでしょう。
実はこれが日本の企業システムの真逆で世界的には今回のような理系職の場合私のような「修士」ではなく「博士」ではないと話になりません。
「博士」こそ理系職の通行手形であり専門性こそ命です(ただし修士にまったく可能性がないわけではないようですがポジションは低いみたい)。
そして日本の転職者は約3%で推移していますがアメリカではその10倍の30%はあったはずなので人材の流動性が非常に高く欲しい専門家をその時その時で雇います。
つまり世界が欲しいのはなんでも屋ではなく「専門家」なのです。
幅広い分野の研究なんてのは「深い専門性」を持ってる人のプラスアルファに他なりません。
というよりアメリカの研究者は工学系で博士をとって生物系に移る人もかなりいるので前提は「何か1つの分野を深く修めたかどうか」が問題になるのです。
それさえあれば逆にその後どれだけでも世界は広がるということですね。


とういわけで今回の答申がいかにピンとはずれかわかっていただけたでしょうか。
ただし、上記した日本企業システムは明らかに機能しなくなっているので我々の世代はだんだんと「専門性」にシフトしていくと思います。
なので現在博士の方はだんだんと働きやすい環境になるのではないでしょうか。
博士にアドバイスするとすれば博士課程で納めた分野とは違う分野にポスドクでいくと良いでしょう。
逆に専門性が何もない人は近い将来仕事を他の国(インドや中国)に奪われる可能性が非常に大きくなっています。
しかし、グローバル化の流れはそれが良い悪いの問題ではなく確実に起きている「現象」なので気持ちの上でも実際の問題としても早めに受け入れたほうがよいですよ。
少なくとも日本人の仕事がゼロになることはありえないのですからどんな職種でも将来を見据えながら真摯に働くのが王道だと思います。


日本の大学の問題はそんなことではなくて教授陣が世間知らずで一度なったもん勝ちなのが一番の問題だと思うけどこの話はまた次の機会ということで。
11:58  |  社会・政治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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