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2010.11.28 (Sun)

高齢者の楽園

前回に引き続いて日本の雇用問題に関するエントリーです。


定年後の雇い止めは無効「雇用継続期待できる」



定年後の再雇用で業績不振を理由に雇い止めされたのは、解雇権の乱用に当たるとして、大津市の男性(62)が東京都江東区の倉庫会社「エフプロダクト」に賃金支払いと雇用継続を求めた訴訟で、京都地裁は26日、雇い止めを無効とし男性側の請求を認めた。

大島真一裁判官は「業績不振で人員削減の必要性は認められるが、新卒も雇用するなど、雇い止めを回避する義務を尽くしていない」と述べた。




またも信じられないニュースです。
定年後に会社が再雇用してくれないと裁判を起こしたケースですがまずその時点でその人の神経を疑います。
私のイメージでは「会社に余裕があれば再雇用ができるかもしれない」というシステムだと思っていました。
しかし、今回のケースで裁判を起こしたということは原告人は「再雇用はして当たり前」という考え方ということです。
現在の景気を考えれば再雇用なんてする余裕はなさそうなものですがそんなことはお構いなしということですね。


そして裁判の結果は原告人が勝訴したわけですがその理由にも驚かされます。
裁判官は「雇い止めを回避する義務を尽くしていない」と判断しましたがその理由として「新卒を採用している」と述べています。
これも普通の考え方と著しく離れていると思うのは私だけでしょうか!?
裁判官の判断では「定年まで働いた人にさらに仕事を与える行為は推奨するが未だ仕事に就けていない新卒にはチャンスを与えない」という考え方を示しています。


これらのようなことが起きる原因として高年齢者雇用安定法があるようです。
再雇用についても実は義務付けられているようでその法律を根拠に裁判を起こしているようですね。
ということは若年者雇用安定法みたいなものはないということでしょうか。
軽くググってみましたがあるのかないのかがよくわかりません…。
ただ、そういう法律があろうとなかろうと今回のような判決がでたわけですから結論は変わらないと思います。


というわけで今回の判決は原告・裁判官ともに「法律に則っただけ」なので責めるわけにはいきません。
そういう法律を作った政治こそが責められるべきだと思います。
そしてそういう法律を作ることになった原因は残念ながら「若者の投票率が低いこと」にあるのでしょう。
はっきり言って政治家の仕事は「選挙に当選すること」なので投票率が低い層のことは考える必要がありません。
正しいとか間違ってるかという判断ではなくそれが事実なんだと思います。
そしてこういう情況が続いても投票率が上がる気配がありませんから「高齢者に厚く若者に薄い社会保障」はこの先もしばらく続くのでしょう。
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20:55  |  社会・政治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2010.11.23 (Tue)

新卒市場の最前線

前回のエントリーで新卒バブルの崩壊ということを最後にちらりと話題にだしました。
私自身はもう新卒での就職活動は一生できないので体験はできませんが今回紹介するようなニュースから実感することができました。


中国で新卒争奪戦 日本企業、「負けず嫌い」求める

日本の企業が、本格的に中国で大学新卒者の確保に動き出した。年630万人という世界最大の市場に狙いを定め、日本本社の幹部要員として採用する。

米コンサルティング大手、ボストンコンサルティンググループ(BCG)の内田有希昌パートナーは2日間の面接を終え、こう感想を漏らした。

いい学生が2~3人いればと半信半疑で参加したが大当たり。「すでに上海と北京で6人に内定を出し、さらに数人採用するかもしれない」

同社は近年、東大や慶応大などの有名校を中心に日本で年十数人を採用してきた。だが、「安定志向の草食系が多く、戦闘意識の強い野武士タイプが減っていた」と内田氏。それで中国に来てみたら、「負けず嫌いで、競争意識の強い、我々の大好きなタイプがうじゃうじゃいた」



今や中国は「市場」や「資源」というキーワード以外にも「人材」という価値が生まれているんですね。
確かにもともと商売上手というイメージが強い中国の人材はビジネスに向いているのかもしれません。
その中でも日本の10倍以上の競争から勝ち抜いてきた人材というのはやはり魅力があると思います。



それに対して日本の人材に対して「安定志向の草食系」と批評されています。
確かに少なくとも私の周りにはそこまで「負けず嫌いで競争意識の強い」タイプはいないように思います。
さらに言うと私の感覚では草食系と並んで「つまらないプライド」を持ってる人材が多いという感覚があります。
それはどういう人材かというと実際にまだ何かをなしていないのに「根拠のない自信」を持っていて「協調性がない」人材です。
草食系の人材は世間のイメージそのままで何故か結果にこだわらず必要以上の「協調性」があるように感じます。
「協調性」に関しては両極端で、その反面実は「競争意識」はどちらも持っていません。
プライドを持っている人は競争意識が高いように思えますが、実際に競争をすることで本当の実力が表に出てしまうことを避けているように見えました。


このような現状がある限り中国の人材は普通以上に魅力的に映るのかもしれません。
このような人材が日本で活躍できる場が与えられたらと思わず期待してしまいます。
ただし、1つ大きな間違いをしているように思えます。


日本人による営業では限界があり、優秀な中国人に本社で企業文化を身につけてもらい、市場開拓を任せたい


傾きかけた日本企業の「企業文化」を学ぶとはどういうことなんでしょうか。
というよりそもそも「企業文化」という言葉を使うこと自体がナンセンスだということに気づいていないように思います。
この変化の激しい時代において「文化」という考え方はビジネスにまったくそぐわないものだと考えます。
むしろ自分達の企業文化を改革してくれることを新しい人材に求める気はないのでしょうか。
そんなことではせっかく入った優秀な人材がまた欧米へと流れてしまうでしょう。
なんというか、のん気なことを言っているなという気がしてますます日本経済が心配になります。


さて、私自身も将来そういう競争を勝ち抜いた人材と働く可能性があるのかなと思うと気持ちが引き締まります。
どんな環境でも常に競争意識を持って取り組みたいと思います。
22:05  |  仕事  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2010.11.21 (Sun)

責任が人を変える

今日は下記のエントリーを取り上げたいと思います。


大学とは何か


その場にいるとわからないけれど離れてみて初めてわかることはとても多いと思います。
私自身大学時代は大学について疑問を感じたことはありませんでしたが就職して大学から離れた情況にきて初めて「大学の存在意義」を疑問に思うようになりました。
といってももちろん大学全体のことはわからないのであくまで私が関わるような理系の研究分野についてです。
会社で関わる「研究」と大学で関わる「研究」はまるで別物であると誰もが感じると思います。
それは方向性が違うため当たり前なのですがそれを「当たり前」で終わらせていいのかという疑問が生じたのです。


別物になる一番大きな原因は「論文」という存在にあると考えています。
大学の研究は基本的に「論文」を書くためにやっているのであってけっして「産業」や「社会」を見据えたものではありません。
ありませんとまではっきり言い切ったのはどんなに「将来の産業へ繋がる研究」「社会に役立つ研究」といっても評価基準が「論文」なので論文以外のものは建前にならざるを得ないのです。


私が現在関わっているプロジェクトは上記したことが端的に現れています。
そのプロジェクトは最終的に「産業化」を目指したものなので基本的には「新規性」よりも「高機能」なことを本来目指します。
分かりやすい例としては今までなかった酵素が発見されてもその活性が低ければ意味がないのです。
しかし、論文になるのは単に「高活性」というよりも今までなかった活性をもつ「新規性」がより学術的な意味を持つ可能性が出てきます。
そこに大きな食い違いがでてきますがその溝を公的機関として参加している研究者には感じられません。
いったい大学としてこのプロジェクトに参加する意義をどう考えているのか聞いてみたいものです。


エントリー先で松本氏はこう述べます。


私の考えは単純明快です。全てを一概に評する事はできないとしても、私は、全般的に見て、「現在の日本の大学のあり姿は正しくなく、大きな改革がなされなければならない」と思っています。現状は、若者達の為にあまりなっていないのみならず、日本の産業全般の競争力を押し下げ、日本の将来を危うくしていると言っても過言でないと思います。


では大きな改革とはどういったものでしょうか。
その例としてとある大学のT先生という方の紹介がありました。
この先生の研究室では他の研究室とは大きく異なる方法論をとっています。
その方法論は企業と密接に関わるために「委託研究」を行っているのです。


現実に、この人の研究室では、現在、複数の企業からの委託研究も受注している由です。委託研究と言っても、受け取る金額は数百万円といった規模ですから、企業側からすれば僅かなものでしょう。「将来もしかしたら大きな需要を生むかもしれない」といった種類の、斬新でユニークな基礎研究なので、自社内にはこなせる人間が見当たらず、それ以上に、「内部のリソースを使えばもっと大きなコストがかかってしまう」故の発注だったと思われます。

T先生の監督下で受託研究を行っているチームは、企業内の組織さながらに、一人のリーダーが指揮するプロジェクトチームを組成しているらしいのですが、発注者側のスケジュール遵守の要求が厳しいので、責任ある立場の上級生も、比較的受身の下級生も、誰一人手を抜くメンバーはいないとの事です。



このT先生の研究室のやり方を非常に羨ましく思いました。
これほど社会のニーズにマッチングした教育を受けられるとは学生にとって非常に大きな財産になると思います。
まさに先ほどの問題点をクリアして「企業としての考え方はどういうものなのか」を学べる素晴らしい研究室です。
また、この研究室のやり方だと産業としての研究を学ぶとともに「新規性」についても学べます。
私は論文自体が悪いと思っているわけでなく、選択肢がないことが問題だと考えています。
ですから企業では手に負えないような「新規性」の高い研究を通じて「産業化を学ぶ」一挙両得の方法です。


このような手法を用いた大学がもっと増えると学生の質も大きく向上するのではないでしょうか。
日本の企業は大学で何をしたかなんてまったく重要視しませんが環境の変化にともないそうもいってられないでしょう。
この変化をJoe's Laboでは「新卒バブルの崩壊」と表現していますが新卒というだけでは就職できない時代に突入したようです。
すでに幾つかの大学ではその変化に機敏に対応し、秋田のとある大学では授業を全て英語で行うなど徹底したトレーニングを行う大学も出てきました。
多くの大学がこういう方向へシフトしていけば日本の未来も明るいのではないでしょうか。
第2・第3のT先生が現れることを期待します。
13:56  |  社会・政治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2010.11.20 (Sat)

裁判官の犯罪

陪審員制度が導入されてしばらく経ちますが未だその賛否は分かれるところかもしれません。
それは導入の仕方にそもそも問題があったり、重犯罪を中心に制度が取り入れられたりしていることに原因があるように思います。
本来は次のような事件にこそ陪審員の所謂「普通の感覚」を取り入れるべきです。


耳を疑いました…西武線痴漢事件“指が動かないのに”控訴棄却


この裁判についての詳細はリンク先を参照していただきたいのですが内容はとにかく信じられないの一言です。
よくありがちな「満員電車での痴漢行為」についての裁判ですが目撃証言も医師の診断も尽く退けています。
その退けている理由も、そんな理由で退けられるならどんな目撃証言も診断も意味をなさないと思える結果です。


ただし目撃者も被害者も犯人の顔を目撃してないことについては「満員電車の中なので自然」としています。
つまり顔も見てない、証言とは背の高さも一致しない、服の色も一致しない、上着の種類も一致しないけれども、見間違いかもしれない、さらに右手の薬指は動かないかもしれないけど中指は動きそうなので「犯人」なのです。



もともと日本の司法制度について多くを期待していませんでしたがさすがにこのレベルの「事件」が起きているとは思ってもいませんでした。
「疑わしきは罰せず」が日本の司法制度だと思っていましたが現状はまったく逆のようです。
最近では検察の「証拠捏造」が問題となりましたがこれは裁判官の「根拠無き証拠不採用」という重大な問題だと思われます。


このような事件にフォーカスを当てる意味で陪審員制度が機能すれば非常に有用だと感じます。
死刑に関わるような重犯罪ではなくこのような日常生活に関わるような場面からの導入を願いたいものです。
00:10  |  社会・政治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2010.11.16 (Tue)

自分の為すこと

サラリーマンやそれを含めた研究者にとって大事なことは何でしょうか。
それは「自分が何をやったか」だと思います。
「思います」というより「思い知らされた」という表現が適切かもしれません。


私は特定派遣の社員として今の会社に派遣されています。
ですから当然私は派遣された会社の利益が最大になるような仕事をしなければなりません。
間違っても派遣先の利益を損なうようなことはしてはいけません。
そんなことは当然分かりきっていたと思っていました。
しかし実際には「恩と利益」に関して大きなジレンマを抱えていたのです。


そのジレンマとは「派遣先の利益を出すために派遣先の外でお世話になった人の利益を損なうかもしれない」というものです。
その方は同じプロジェクトの違うチームとして働く他機関の方です。
仕事を通じて初めてその方と知り合って以来というもの様々な面で助けてもらっています。
なんといっても今やっている研究分野にずっといた方なので素人同然で入ってきた私にはその方の様々な助言に大きく助けられました。
その恩に報いるために私自身も出来る限りのフォローを行ってきました。
そうすることで相乗効果を生み出し互いにとって大きな利益を生み出したと考えています。


しかし共同で行っていた研究を論文化するにあたり大きな問題が生まれました。
正直な感想として私は今やっている研究の最大の手柄はその方にあると思っています。
ですから当然1番手がその方で2番手が私だと思っていました。
その考えに何の疑いも持っていなかったのですが上司と話したところ相手方に対してかなり怒ってしまいました。

「こちらも大きく関与しているのになぜこっちが2番手なのか。こちらのデータは使うべきではない」

情けないことにこんな発言になるとはまったく想像もしていませんでした。
確かに組織としての利益だけ考えれば2番手になるというのは利益を損なうことになるのかもしれません。
しかし、こちらのデータとあちらのデータの両方を使わないとデータの質が下がるのでお互いにとって不利益です。
それでも別々にしなければならないのか非常に悩みました。
なにより恩人に対してそれでは申し訳ないという気持ちが非常に強いのです。
なぜならその方はむしろこちらのことを考えてよりよい形でデータを示すためにこちらのデータを「使ってくれた」からです。



今回の件はまだケリがついていません。
組織の利益をとるのか、恩人の利益を取るのか。
当然道は1つだと思います。
それは「意地でも両者に利益がある形に落とし込む」ことだと思います。
今回の件で非常に頑なになっている上司を説き伏せることができるのかわかりません。
ただ、ここで引き下がったらこの先の人生において大きなしこりを残すような気がしてならないのです。
恩を仇で返すわけにはいきません。
とりあえずあるだけの知恵を絞れるだけ絞って戦いたいと思います。
22:16  |  仕事  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2010.11.03 (Wed)

転職と家族

気になる記事を見つけました。


妻の反対で転職のチャンスをつぶされました!


内容は要約するとこんな感じ。

大学時代の友人に影響されて転職を決意したAさん。
もともとこのままでいいのかという漠然とした不安を抱えていたのでそれを友人の成功に背中を押された感じ。
それを奥さんに話したところ反対に会い、結局転職はやめた。
だけど落ちたモチベーションは上がらず結局社内でも閑職に移動になった。
以来会社でも家庭でも居場所がない四面楚歌の状態である。



この記事に関するコメントではどちらかというと奥さんを支持する意見が多いように思います。
しかし、私はAさんを支持するというわけではないですが奥さんの発言で気になるものがあります。

それは

あなたの転職の話には、家族の将来が見えてこない。独り善がりな計画だ。

というものです。


ぱっと聞いた感じではすごい正当なことを言っているようですがすぐに疑問が浮かびました。
それはAさんには家族のために仕事を選択する権利もないのかというものです。
Aさんの賃金が下がることと家族の将来はそんなにリンクするものなのかと不思議でなりません。
賃金が下がることで生活レベルが下がるならばその分自分が働けばいいだけの話です。
子供が生まれたのを機に仕事をやめることはイコール家族としての収入が下がることを意味しますがそれはOKでAさんの転職がダメというのは「家族」のことを考えるというより「奥さん」のことをだけをさしているように感じます。
世の中には幾らでも共働きで子供を育てている家庭はあるわけで、それでも退職を決断すれば奥さんの分の賃金はゼロになります。
しかし転職なら減ったとしてもゼロにはならないし、潰れるかどうかはその時点で判断できないことです。


総じていうと奥さんの言う「家族」にはAさんが含まれていないように思います。


その他のことでは「今の会社でモチベーションを上げる努力をすべき」という指摘もかなりAさんに無理を言っているように思います。
「モチベーションを上げる」と言葉にするのは簡単ですが実際に行うのはなかなか厳しいでしょう。
もちろん1ヶ月とかそこらの話ならいくらでも機会はめぐってくるかもしれませんが、奥さんのいう「ルート」に乗っている限り変化は訪れないでしょう。
つまらないと感じる仕事をするほど苦痛はないのに専業主婦としてずっと家に居られる奥さんがAさんにここまで要求することは本当に「家族」として正しいあり方なのか疑問に思います。


ただし、1つだけ納得の指摘があります。

それは

あなたが会社から離れて何が出来るの?

というものです。

日本の会社のシステムは「専門家」ではなく「何でも屋」を育てるようになっています。
そのため何かの専門性のような分かりやすい「強み」が形成されにくく人材の価値のほとんどの部分を「会社のネームバリュー」が占めています。
もちろん1人でバリバリやれる人もいるでしょうがあくまで少数派であるということです。
ですからいざ会社の看板を外した際に「こんなはずじゃなかった」ということが多くあるそうです。
そういうわけで奥さんの指摘はかなり鋭いことは間違いありません。



というわけで「家族計画」という意味での批判には反対ですが「人材価値」という意味での批判は考える必要があります。
Aさんの人材価値はリンク先の文章からでは読み取ることができませんがそれなりに仕事ができるようです。
その仕事の出来方が「会社の看板を背負った状態のみ」なのかどうかが分かれ目といえそうです。
1つだけ言えるのは奥さんの一方的な反対により将来ではなく現時点で家族の方向性が悪い方に舵を切ったことだけは確かなように思います。
重要なのは互いの落としどころを探す努力を怠らないことのようですね。
22:02  |  仕事  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2010.11.03 (Wed)

司法と感情の境界線

死刑に関する問題はやっぱり結論を出すのが難しいですがやはりこういうニュースを見るとこの結論が正しいのが強く疑問に思ってしまいます。


林被告に無期懲役…「極刑に値するほど悪質とはいえない」裁判員制度初の死刑回避


東京都港区で昨年8月、耳かき店店員、江尻美保さん=当時(21)=と祖母の無職、鈴木芳江さん=同(78)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われた元会社員、林貢二被告(42)の判決公判が1日、東京地裁で開かれ、若園敦雄裁判長は「身勝手で短絡的な動機に基づく犯行だが、極刑に値するほど悪質なものとはいえない」などとして無期懲役の判決を言い渡した。

鈴木さんの殺害については「残虐ではあるが計画性のない偶発的なもの」とした。反省の度合いについては「被告は深く後悔し、被告なりに反省もしている」とした。

そのうえで「犯行に至った経緯は極刑に値するほど悪質ではない。遺族が強い怒りを覚えるのは当然だが、被告なりに反省の態度を示していることは考慮すべきだ」として死刑を回避した。



私がこの判決に疑問を感じる最大の点は「極刑に値するほど悪質ではない」と「反省の態度を示していることは考慮すべきだ」という2点です。


まずこの判決からは日本の司法判断は「被害者に落ち度がない場合で人を2人も殺めても死刑にはならない」ということになったと思います。
単純にこの判決が殺人を助長する結果になるとは考えませんが少なくとも死刑制度の存在による殺人事件の回避には繋がらないでしょう。
恐らくこの事件では99%冤罪ではない(そういう論点は出ていないため)と考えると死刑による冤罪の問題も回避できるわけであり死刑の適応がまさに適切だと思うのです。

この結果を受けて「裁判員制度により懸念される感情からの判断ではなく司法としての判断が下された」と良い評価を与える人もいます。
確かに「司法による判断」を徹底して貫くことが法治国家では大切だと思うのでその点では同感です。
ただし、この「司法判断」そのものを見直すことも必要ではないでしょうか。
現在の科学捜査のレベルは昔に比べてかなり上昇しているため物的証拠も多く提出できるようになるでしょう。
そうなった場合、人間がやることなので100%はないでしょうが99%冤罪がないとわかっている場合は死刑判決も無期懲役と同じように扱えるのではないでしょうか。


もう1つの問題点「反省」についてです。
「感情からの判断ではなく司法としての判断」と上記しましたがこの「反省」に関しては「感情の判断」といわざるを得ません。
「反省」というものを定量化できるならば別ですが「証拠」などと違って物質的に表せるものでもありませんし非常にあやふやです。
何より自分の死がせまっているのですから中身が伴ってなくても必死で反省するでしょう。
その命がけの「演技」(仮に演技してるとします)を本当に見抜けるかは誰にもわかりません。

その点に関してはこの本が参考になります。


今回の加害者が本に当てはまるとは判断できませんが殺人事件を起こす人間の反省のなさが浮き彫りになっています。
実際に刑務所でルポを続けたこの本は机上の理論よりもずっと説得力があると思います。

そしてこういった理屈以上に「人を殺して反省なんて当たり前すぎる」という思いが強いです。
そんな当たり前のことをして罰を逃れられるならいくらでも反省するでしょう。
何よりもし本当に反省しているなら何の罪もない被害者を殺して自分は死刑を逃れたいとは思わないです。
むしろ積極的に死刑を望む姿にこそ反省を感じられるというものです。


この2点より今回の無期判決には反対です。
十分に悪質であると言える材料はあるにも関わらず無期判決を下した判断は司法が十分に機能していないとも捉えることができます。
この事件をもとに「死刑制度」に関する議論が深まることを願います。

19:54  |  社会・政治  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2010.11.01 (Mon)

ありがとうございます!

11月1日になりましたね。

そしてブログのカウンターもようやく10000を超えました!

これもいつも読んでくださるみなさんのお陰ですね、感謝しております。

更新頻度はそんなに高くないけれど地道に続けたいと思いますのでこれからもよろしくお願いします。

次は目指せ20000です!
22:34  |  その他  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑
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